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西村

Author:西村
松尾寺の近くにある樹齢800年のクスの木です。松尾寺は織田信長によって焼かれたということは、このクスの木は織田信長を目撃しているのかもしれません。数ある巨木の中でも一番のお気に入り。

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この世界の真理について語ってみる
人間は生きている間に、どこまでこの世界を理解できるのだろうか?さまざまなテーマを文章にして随時修正しながら完成に近づけていく成長するコラム集
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47.日本再生計画
 国家が経済界を先導するに当たって、もっとも重要視しなければならないことは、商法を使って右と左のバランスを調整することだと考えます。

 例えば、お酒の専門店を経営したい場合、誰でも気軽に参入できないように、酒類販売の制度を設けます。店の設置は小規模店で半径100m、大型店で1km以内に同業種があれば、開業できないと定めます。

 この状態だと、よほど怠け者な経営者でない限り営業は続けれる。努力すれば利益も上げられる。大企業もスケールメリットを使って小規模店を攻撃しにくい。

 つまりある程度のがんばりでサラリーマンを脱出でき、新たな安定就職先を自ら生み出せ、小さな社長を大量に増産できる訳です。

 大型店の一括大量仕入れは自営業者を弱体化させ、中間業者も消し去ります。一般消費者は価格が安くなるので大歓迎でしょうが、何れ市場縮小になるだけです。そしてその皺寄せは、自分達の給料へ跳ね返ってきます。

 あまりにも高効率化を目指すと社会格差につながる訳です。こういった場合でも、適正なバランスで商法を定めれば大型店を弱体化でき、利益集中を防げます。

 高度成長期には、このような法律や組合が業種ごとにあって守られてきた。これをもう一度見直す必要がある訳です。

 規制緩和による価格破壊は、従来のままでは倒産する企業が多くなることで、必要となる政策なのですが、ある程度耐え忍んだ時には、適正な状態へ戻すための締め付けが必要になります。今の日本はそれを怠ったと言えます。

 優秀な結果を出せる人は普通よりも収入がアップして、普通にがんばって働けば安定した収入を得ることができ、働かない健康な人は飢え死にしてしまうのが、右も左もない世界だと考えるのですが、そんな世界は未来永劫なさそうです。

テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

46.未来の理想国家
 自殺や凶悪犯罪者というのは、彼らの行動が奇跡的最悪なタイミングの積み重ねによって悪い効率を発生させ、それが心の安定を強力に乱し異常行動に走らせるのです。

 心が安定している人達に、その心境は理解できない。ある意味、理解できない事が正常である証とも言える。平和な世の中を築くためには、心の安定がすべてです。

 そのためには、まず経済的な不安を解消させるのが効率の良い活動だ。安心して生きていける事が心の安定に直結する。

 民間企業が知恵を絞って、仲間を蹴落として犠牲を払い、苦労に苦労を重ねて搾り出した利益を、意図も簡単に奪っていく今の国家は、完全な共産主義です。

 民間は簡単に利益を奪われる分、利益を生み出す学習能力が自然に高まります。逆に、さらりと利益を奪えてしまう国家に、そういった能力を身に付けることは不可能です。

 つまり国家の中枢で働いている人達は、構造的な欠陥による犠牲者と言い換えることができます。

 共産主義下では自浄作用が起こりません。どんどん悪い要因が溜まって最後は崩れ落ちます。そして新たな再生が始まるのですが、何事も極端はいけません。

 緩やかな破壊と再生を繰り返すのが理想です。私の考えでは、半分資本主義を取り入れるという事です。つまり国の財源は半分税金で賄って、半分自給自足をするということです。

 じっくり時間を掛けて、財源確保の比率を半分に近づけます。これが最良のバランスを生み出すと考えるのです。

 例えば、優秀な民間経営者が、法律を多少都合よく変えていいからお金を稼いでくれと言われたら、意図も簡単に稼ぎ出すでしょう。

 具体的に言えば、採算の取れてない農家を公務員として雇います。大もうけは出来ないけど、安定が約束されます。次にすべてのお米(輸入米も)の価格は国で決めて販売するのです。

 この状態で公務員扱いを増やしていけば、どんどん安定した職種も誕生していきます。更には半分の財源を自ら稼ぐとなると、お金を生み出すためのノウハウが育ち、民間経営者の知恵も積極的に取り入れることが活発になります。

 財源が確保できないとなると、追い詰められリストラを強いられます。無駄な所を切り捨て、効率の良い所を残す努力が生まれます。自浄作用の発生です。税率を上げれば良いではいけません。

 財源を多く生み出す政治家や職員が評価される構造も出来ます。ただ、あまり利益追求をすると公共サービスがおろそかになります。そこで半分は税収という事になります。

 ここまで来ると、国家に税金の資産運用もまかせて良いでしょう。失敗すれば個々に責任問題を追及できるのですから。この状態なら大きな国家になっても問題ありません。




 

テーマ:国家論・憲法総論 - ジャンル:政治・経済

45.この世に偶然はない
 この世の中は自動的に物事が解決されると言うと反感を買うでしょう。大変な困難が起こった時に放置すれば、自然に解決されるなんて、おかしいと感じるのは当然です。物事は必ず努力をしないと、解決されないはずです。

 それは重々承知の上なのですが、私の言う自動的とは、例えば戦争・利権などの作用が自分の首を絞めていると認識し始めると、必ず人はそれに介入(反作用)して努力します。これを自動的と表現している訳です。

 他の例をだしますと、私は大阪の橋本知事を立派だと思うし、がんばってほしいので支持もしています。しかし橋本知事の登場は、今までの膿を消し去るために誕生した反作用とも見れるのです。

 大阪のような舞台が整えば、どこかで有能な人が押し出されてがんばるという訳です。

 ただ綺麗に橋本知事の任期で片付く問題ではありません。長い歴史の中で出てきた膿ですから、いつ解決するのかは予測はつきません。

 だから自然に放置なんて選択はなく、問題の規模が大きいほど、必ず介入せざるを得ない状況になるのです。そして徐々に修復されていくと考えます。

 でも一人の人間は自在に意思をコントロールできるはずです。もし橋本知事が努力せずに府民の税金を使いまくるとします。府民から悪魔と呼ばれるでしょう。しかし時は既に遅し。大阪府の財政は悲惨な状態になり、府民は地獄のような生活に堕ちるとします。

 しかし、この破壊で古い体制も古い考えの人間も吹き飛んで、一気にシガラミのない新しい体制作りが可能となります。地獄から天国に切り替わる切欠が誕生するのです。

 こう考えると、この極悪人が後にヒーローだったと呼ばれる状況もありえるのです。結局、どちらに転んでも時間が立てば何れ自動的に良くなっていくと呼べるのではないでしょうか?

 この考え方で今の橋本府政を見ると、橋本知事のがんばりで、古い頭の人達の大多数が生き残り、古いシステムはあまり変化せずに、大阪を立て直したことで国民は深手を負うことはなかったのですが、満足いく待遇を経験するのは、まだまだ先という解釈ができます。

 これはハードランディングとソフトランディングといえるものですが、何事も極端はダメな事だと考えると今の橋本知事の行動が一番理想的な結果を生み出すと感じます。

 バランスが取れている地球で汚染が発生すれば、必ず浄化されます。自然治癒と同じです。これは世の中すべての要素に陰と陽の二種類しかなく、この二種類が平等に存在することを意味します。

 それらをトータルして、イコールゼロを目指します。つまり世の中に無駄な物は全くなく、すべてに存在意味があるのです。

 バランスが維持されているお陰で、この地球では生命を途切れさせる事なく存続できたと思う訳です。これらの内容からも、バランスは存在その物だということが改めて解ります。

 私の言うバランスとは地球全体であって、人間はその中の極一部分に過ぎません。今後も地球上の生命は存続されていくのでしょうけど、当然人間のいない地球もありえるのです。

テーマ:関西地域情報(大阪 兵庫 京都 滋賀 奈良 和歌山) - ジャンル:地域情報

44.死刑制度に見る陰と陽(h20.5.5)
 死刑存置派と廃止派の発言が全く噛み合わない。なぜここまで意見が分かれるのかを陰陽論を使って考えてみる。

 命とは、失えば元には絶対に戻らない存在で、その究極に大切な命を奪う事件を起点にして発生する反作用が究極の罰則である死刑という形となって現れる。これが存置派の発生原因です。

 これは殺人事件そのものに無意識で注目することによって起こる反作用で、本能で感じる部分が強い人に多い。体を張って毎日がんばっている庶民が大半を占める感覚だ。被害者の立場を代弁したり、遺族感情を中心に話を進めるのが、その証拠です。

 次に死刑廃止派の場合は、無意識に死刑という行為が思考の中心となり、死刑発生の根本原因となる事件はあまり頭に入ってこない、それは何故なのか?

 残酷な殺人事件を冒した人間は、マトモな教育もされていない未完成な存在であり、野獣と同じであると考える。子供は生まれてくる環境を選ぶことができない、それが不運な方向へ流れて悪質な事件を起こしても、それはある意味、自分で選ぶことの出来ない自然の流れの中で起こる出来事で、交通事故と同じような側面があると考える。

 被害者や遺族の話がなかなか出てこないのが、その証拠です。

 逆に死刑というのは、国を管理する立場にある頭の正常なはずの人間が、究極の存在である命を奪う行為だと考えるので、死刑という国家による殺人を無意識に重要視する。この人達を良く言えば深く考える事が得意で、悪く言えば頭でっかちであると言われる部類だ。

 つまり死刑存置も廃止も、究極の存在である命の大切さを訴えているにも関わらず、注目している部分が全くの逆方向であるために、お互いの意見が平行線のままだといえる。

 しかも注目する点が無意識であることから、平行線の原因を捕らえることができずに、極端に存置か廃止に偏っている人達は、お互いを頭のおかしい連中ということで片付けてしまう結果を生み出す。

 これは本能で感じる部分の多い少ないで決定される。死刑廃止派は体よりも頭先行で仕事をする人達が多く、私情を挟まない能力、すなわち本能で感じる部分が抑制されている状態だと考える。

 ある作用が起これば、バランスを取る為に相殺させる反作用が起こる。それは生命及び生命の創造物・行動を常に安定させる作用が存在することを意味する。それが陰と陽です。

 もし廃止論者という反作用がいなければ、死刑について考える機会がなくなり、簡単に死刑が執行されるでしょう。そうならないよう適度なブレーキをかけるために廃止論者がいるのです。つまり廃止論者を説得しようという行為などが、より冤罪のない秩序の保てる罰則への理解を深めていく事につながる訳です。

 現時点の罰則制度がもし大きく間違っていたら、大きな反動を伴って修正されるだろう。当分変化がなければ、今はこのやり方で生命の秩序を保てるベストな状態を示す。つまり今が正しいのかは、後になって見なければ分からないとも言えます。

 個人の意識ではなく大勢の意識が関わる行動や精神には、自由意志というものがほとんど存在しないと感じます。そこに偶然はなく、生命が地球に生存し続けるための、最も良い割合をほぼ自動的に取りながら進み続けるのです。

 ちなみに廃止論者は、世界の潮流は死刑廃止に向かっていると言います。確かに私も他国に住んでいたら、何も考えずに大声で死刑存置を訴える事は出来ないでしょう。

 その理由ですが、日本以外は冤罪が多そうだからです。汚職も多いでしょうし、のんきにしていれば何時犯罪者にしたてられるかもしれません。捜査能力もずさんだと思います。明日はわが身なんて感覚になるでしょうね。

以上、勝手な想像でした。




テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術