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西村

Author:西村
松尾寺の近くにある樹齢800年のクスの木です。松尾寺は織田信長によって焼かれたということは、このクスの木は織田信長を目撃しているのかもしれません。数ある巨木の中でも一番のお気に入り。

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この世界の真理について語ってみる
人間は生きている間に、どこまでこの世界を理解できるのだろうか?さまざまなテーマを文章にしてみる自分のためのメモ帳
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34.中国の公害
 近年テレビゲームと同じように人生もリセットできると感じて自殺する事件が起こりました。年配の人達にとっては全く理解しがたい事件です。

 しかし、こういった子供達も我々と同じ全く普通の人間です。異常な状態で生まれた訳ではないと思います。それが自然に感じる部分があったからこそ、こういった事件が起こったのでしょう。

 その事件の原因を考えて見ますと、やはり五感で感じる体験が乏しかったといえます。幼少時代に外が遊び場だった人は、怪我が絶えなかったと思います。その痛みを何回も積み重ねることによって、人の命がどのくらいのダメージで失ってしまうのか推測できるようになります。

 今の子供達は人を殴る手加減が分かっていません。それだけ自分の痛みが伴った学習をしてないのですから当然といえる結果です。

 小さい怪我でも繰り返すことで命の重みを実感できるようになるのです。この部分を感じとることができれば、自殺で人生をリセットなんて考えは起こらないと思います。

 テレビゲームに熱中する子供の環境を言い換えれば、過保護な親が子供の怪我を防ごうとして全く外で遊ばせないといったところでしょう。

 話が変わりますが、今の日本では省エネ技術や公害対策はトップレベルと言われています。それは高度成長時代に大きな痛手を負った歴史があるからです。その歴史を五感で体感した人が、一生懸命訴え続けることによって今日の日本が存在するのです。

 現在の中国では、昔の日本で起こった公害の歴史を繰り返そうとしています。中国はこれから世界的に影響力のある大国となっていきますので、悲惨な公害の歴史を作ることによって、それが新たな比較対照として中国人の五感に刻みつけられ、未来のクリーンな中国が出来上がるのだと思います。

 しかし、この考えは人情味がありません。せっかく日本では痛い目にあった経験があるのに、これを他国に生かさない手はありません。しかも風向きの関係から日本もこの公害に巻き込まれるようです。

 これらの事から日本ではできるだけ公害対策の支援をしているそうですが、私自身はちょっと過保護のような状態に感じて、一党独裁の中国は目を覚まさないのではと思いました。しかし広大な中国相手にやり過ぎることはないと思いますので、公害の対策や悲惨さを訴え続けるのは無駄ではないのかもしれません。

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テーマ:中国問題 - ジャンル:政治・経済

33.能力給を考える
 タクシーの完全歩合給を説明しますと、1時間働いて660円稼いだ場合は約60%の396円、5000円稼いだ場合は3000円が自分の時給となります。

 この場合、1時間待機して5000円のお客さんが乗車すればかなり嬉しいです。660円のお客さんが乗車すればかなり悲しくて接客態度が乱れそうです。

 比較により発生する喜びと悲しみは表裏一体です。最初に喜びを体感すれば、後に同じ量の悲しみを体感して、この二つが相殺し合ってイコールゼロを目指すのだと思います。

 次に固定給プラス売り上げ金額の20%が給料に反映される場合、5000円のお客さんが乗車しても、ちょっとだけしか給料に反映されないので、それほど嬉しいとは思いませんが、多少なりとも給料に影響するので、乗せない訳にもいきません。660円のお客さんでもそれほど悲しくはないので、接客態度が乱れることはありません。

 そして、完全に固定の月給制度である場合は、5000円のお客さんを乗せても、給料アップにつながらないので全く嬉しくありません。660円のお客さんを乗せても全く損した気分になりません。

 がんばってもがんばらなくても給料が同じなら、サボったほうが楽で、普段嬉しい遠距離は体力を使うので断りたくなります。がんばって仕事をしている有能な人が、サボっている人と給料が同じならば比較により損した気分になるので、あほらしくなって真っ先に会社を辞めるでしょう。(共産主義ではこのストレスが汚職に置き換わる場合があります)

 これは公務員に近い環境ですね。結論から言えば完全歩合給(純資本主義)や完全固定給(純共産主義)ほど極端はだめで、多少なりとも活躍が給料に反映されるバランスの良い歩合率が理想的となります。

 歩合給というのは、お金で自分の成果を見ることが可能になります。今これだけの事をしたら、これだけのお金が自分に入っていると実感できる部分に、すべてを丸く収める比率である黄金比(1:1.618)を適用すると理想的な固定と歩合の比率が分かるのかもしれません。

 しかし、民間でも業種によって歩合給を適応することは、大変難しい場合があります。タクシーも売り上げの変動が激しいので現実は完全歩合給が手っ取り早いです。公務員となると不可能を感じます。

 そうなると給料で実感できない場合は、お金以外の目に見える成果に置き換える必要があります。人は何か影響を与えると反応がほしいものです。よく公務員が非難されますが、あの環境では仕方がないと思います。

 公務員の仕事は地域や部署によって、かなり過酷な環境差(特に現場)があります。しかも成果が全く目に見えない場合というのは地獄かもしれません。民間企業がうらやましく感じることすらあると思います。

 しかしここでは一般論として話すと、最初に民間企業(野生の王国)に就職をして、公務の仕事では体験できない危機感や競争原理などの厳しくて新しい比較対照を五感に刻んで、それから公務員になるべきだと思います。

 そうすることで、本当に効率の良いサービスや最適な場所に役に立つ施設を作ることができるのだと思います。

 全くバイト経験などもない世間知らずが新卒から公務員(動物園の動物)になった場合は、危機感を養うのは難しいと感じます。

 つまり公務員の不祥事による責任追求に力を注ぐよりも公務員採用制度にもっと焦点を当てるべきではないでしょうか?

テーマ:公務員を考える - ジャンル:政治・経済

32.比較で生きる
 犯罪が発生すれば、その犯罪を防ぐための対策が発生する。科学では道具の便利さと同じくらい人の能力も奪う。これはすべての作用には反作用が生まれることを意味する。

 科学は過去と比較することにより進歩します。分かり易く言えば、より早いレーシングカーを作るためには過去のタイムを比較します。ニューモデルのデザインに目を奪われるのは古いタイプを目にしているからだ。そうやって着実に進歩していく未来では、自動操縦の車が完成されたとする。

 国家は安全性の高い自動操縦の車を推奨するのだが、車の運転を自由に楽しみたいという人々がいるために手動操縦の車も完全にはなくならない、これを強制するのは自由を奪うことを意味する。

 しかし手動操縦の車で死亡事故が起こると、その車に巻き込まれて死亡した遺族が手動操縦の車を廃止するための運動を起こす。マスコミも遺族の悲しみを大々的に取り上げ世論は加熱していく。手動操縦の車の所持者は肩身が狭くなっていく。

 安全性の高い自動操縦の車という新しい比較対照が頭に刻み込まれた結果、手動操縦の車は走る殺人凶器と呼ばれるようになる。

 国民の圧力やマスコミによって政府は助成金を出してでも手動操縦の車から自動操縦の車に乗り換えを促進させる。これにより新しい法律もできる。手動操縦で車を運転した者には、厳しい罰則が与えられるようになる。

 手動操縦の車が主流の現代から比較すると異常事態に感じられるが、科学は新たな比較対照を永遠に創造し続け、法律や思想に影響を与え続ける。

 そして科学の発展によって、人の運動神経はどんどん低下の一途をたどる。つまり人の環境適応能力が科学の力に置き換わっていくことを意味する。これは他の生物にない特徴だ。年配者は自分の若い頃と比較してしまうため、この現象に危機感を抱き自由と身体能力を奪う科学を弾圧する。(「最近の若いものは」という文章は比較によるもので永遠に語り継げられる。)

 しかし自動操縦の車は、言い換えれば死ぬ確立を減らす薬と同じことになる。今その薬が科学技術によって確実に存在する場合、人が弱っていくからといってあえてその薬を使わない人は存在しない。それは科学の進歩を止めることができないことを示す。(自分達が作った製品を買わずに安い中国製を選んでしまうのも同じだ)

 科学を止めることはできないということは、犯罪をなくすための手段として人間に発信機をつけることも避けることはできないだろう。科学進歩は生きていくことをどんどん楽にさせるが自由もどんどん奪っていく。

 こういった未来を思い浮かべば、自由がなくなっていく未来に悲観するかもしれないが、それは現在との比較によるものであって、ちょっとづつ進歩しながら実体験による過去を忘れていくことによって、自由がなくなっていることも感じなくなるだろう。実体験で比較対照のない若い世代は「こんなもんだろう」という感覚になる。

 人は比較を頼りに生きることによって、物差しを自由に変化させ、自分達を追い込まずに適切な方向へ前進していくようにできている。大きな波が小さな波に変わっていく。

テーマ:日本の未来 - ジャンル:政治・経済

31.博打にはまる
 この世には大きく分けて線で生きる人と点で生きる人の二種類が存在します。

 線で生きる人は簡単に言えば、長期的に物を考える人です。こういった人は長期的計画を頭に入れて最後まで問題なく完遂できる能力が必要となる職場で働けます。

 点で生きる人は短期的に物を考える人です。こういった人は目先の現実を把握するのが得意で、職場とすれば一日で区切りをつけて終わらせる仕事に向きます。

 点で生きる人がもっともはまりやすいのは博打です。もっと先のことを考えるようにすれば博打は止めれるのにと思うかもしれませんが、点で生きる人は目先の現実(楽しみ)が見えやすいので、暇になれば再び手を出すかもしれません。

 博打というのは長く続けていけば、平均すると投資金額の三分の一くらいが戻ってくる遊びです。それ以下になると、お客さんが勝つ可能性を感じなくなって離れていくからです。離れさせないためにも適度に勝たせて、ばれずに金を奪っていくことが経営者の腕の見せ所です。

 良い気分にさせお金をむしり取る博打は合法的な覚せい剤といえます。ただ博打をする人は世の中の役には立っていないわけではありません。もし博打で大勝ちしても、すぐにあぶく銭となって社会に消えるのですから、博打をする人は社会に寄付をする人といえます。

 博打経営の構造をもっと理解すれば違う考えもできると思います。身を削ったお金を自分以外のものに投資するだけでは何も積み重ならず、今いる世界から抜け出せません。これは社会格差にも影響を与える問題です。

 ただ線で生きる人にも短所があります。遠く先の現実まで見えてしまうので、辛いことがあると長く引きずります。矛盾を感じやすく無理やり自分を正当化しないと正常を保てなかったり現実逃避しやすくなります。先まで展開が見えるということは決断を鈍らせ行動力がなくなる場合もでてきます。

 結局、人間の根本は平等で、はまりどころによって効率というものが発生して外から見比べると差があるように感じてしまうだけなのでしょう。

 ちなみに、韓国にもパチンコがありましたが、自己破産者続出で国がすぐ禁止にしました。節度ある民族がいる日本だからこそ、パチンコ業が成立するのでしょう。

テーマ:パチンコ - ジャンル:ギャンブル



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