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西村

Author:西村
松尾寺の近くにある樹齢800年のクスの木です。松尾寺は織田信長によって焼かれたということは、このクスの木は織田信長を目撃しているのかもしれません。数ある巨木の中でも一番のお気に入り。

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この世界の真理について語ってみる
人間は生きている間に、どこまでこの世界を理解できるのだろうか?さまざまなテーマを文章にしてみる自分のためのメモ帳
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37.疑似体験が未来を救う
 「あの頃の若い時代にもどったなら、もっといい人生をやり直せるのになあ」と思う人は多いと思います。その理屈は、現在のうまくいってない自分を体験することによって、やり直しの効くと思える若い時代の価値が上がることを意味します。

 しかし若い頃に戻っても現在の自分の記憶も一緒に連れて行かないと、なんの反省もなく、また元の同じ人生を歩むだけです。

 知り合いに糖尿病を患っている人がいます。その方は病院が怖くて行きたがらないようでした。かなり嗚咽がひどくて見ていて辛かったです。結局病状が酷くなり最後は病院に駆け込みましたが、時既に遅しで人工透析なしでは生きられなくなりました。

 三日に一回病院で4時間の人工透析を行います。それを経験してから、こんなに大変だったら早く病院に行けばよかったと、非常に後悔していました。

 タバコをなかなか辞められない人が大勢います。その中で何人かを選んで自分が肺ガンになるという疑似体験をさせる試みがあったそうです。本物の医者と病院を使って本物のガン患者に接するように何日かをリアルに過ごすのです。

 最初は擬似的なものだと分かりますが、どんどん五感で体験することによって、まるで自分が本当のガン患者で余命があと僅かしかないと錯覚するようになっていきます。

 この疑似体験でほとんどの人がスパッとタバコを辞めたそうです。本人からすれば、実際にはガンになって死なない訳ですから、死の淵から蘇ったように感じたでしょう。たぶん喜んでタバコを辞めたのかもしれません。

 これは現在より最悪な状態を体験することによって、それが新しい比較対照として五感に刻み付けられ、今の価値が上がることを意味します。つまり実体験で痛みを伴わずに、今のありがたみを実感できるという試みです。

 今後は科学の発展によって生きることが楽になる程、そのしわ寄せとなって心の病や生きていることの実感がなくなっていきます。そういった時、この疑似体験という分野が威力を発揮するかもしれません。

 この分野ではゲーム産業が活躍するでしょう。今までは画面を見ながら操作するだけですが、どんどん五感を使った刺激的なゲームを目指すはずです。

 疑似体験教育システムによって、どんどん厳しくて新しい比較対照を五感に刻むことによって不足な感覚を補っていけると思っています。

 ゲームというのは楽しくないと成立しませんが、教育のための疑似体験は短時間だけ後悔させるためのものですから楽しい物にはなりません。なので子供の内は強制的に受けさせる必要はありそうです。

 この疑似体験教育システムは極端な失敗を未然に防ぎ、穏やかな波での成長を実現できるのではないでしょうか?

 良く考えれば、これが実現可能なタイムマシーンと言えるでしょう。

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36.合法的に税金を盗む
 例えば国から仕事を貰っている民間社長は大きい家で贅沢な暮らしをしています。その仕事を与えている役人はそれほど贅沢な生活はできません。

 無尽蔵に湧き出るように思えてしまう税金を自由に振り分けることが出来る役人(大手民間企業の管理職も)は偉そうにふんぞり返っている人もいます。「お前の会社は俺が養っているようなもんだ」といったところでしょう。しかし運転手付きの高級車で仕事を貰いにくる低姿勢の民間社長を見てると、気分の良いものではありません。

 ここで仕事を与える代わりに何かよこせと思うのは一概に異常だと言えないでしょう。役人と民間社長の贅沢落差が激しいほど、当然不公平を感じます。

 民間企業も税金を頂きたいために役人に便宜を図ります。役人も後々の就職先確保や甘い汁を吸うため民間社長に近づきます。お互いの利害関係がぴったりと一致する訳です。

 国を相手にしている優秀な民間会社というのは役人に対するアプローチが最重要ポイントに置いています。いかに持て成して税金とのパイプを確保していくかに焦点を絞っている企業が勝ち残っていくのです。

 談合というのも効率よく税金を吸い上げるための方法です。そういった構造から、国に密着した会社は必要以上に増え続け暴利を貪り続けました。しかし今では正常に戻すための政策から、かなりの会社が淘汰されています。

 みんな大切な家族があるのですから目先の現実を乗り越えるのに必死です。

 現在も無駄と分かりながら公共事業などのラッシュが続いていますが、内情を見れば最後の抵抗といえるものかもしれません。

 国民から吸い上げた税金を日本の隅々まで行き渡らせようとするこのシステムは田中角栄時代からのものですが、実体を伴わないで税金を使わせてしまう構造によって、それが大きな痛手となって国民に跳ね返ってくるのは当然の反応だと言えます。

 バブル時代での異常な経済状態を正常に戻すためには、まだまだ負のエネルギーが足りないといったところでしょう。

テーマ:政治 - ジャンル:政治・経済

35.不老不死で人類滅亡
 自分がこの地球に生まれてからたった一人しか存在しない場合、比較する対象がないので、自分がどういった思考の持ち主か?何者なのか?姿なのか?幸せなのか?表現することも考えることも不可能になる。

 言い換えると、突然この地球で自分一人になったら、過去に集団生活してきた記憶との比較によって、今の感情や状態を理解できる。記憶は人生そのものだが、自分という個人を識別する情報でもある。

 つまり現在の自分は大勢の中に存在して、その大勢とを比較した自分を表現していることになる。そこから更に日本を飛び出して世界中の国々とを比較することによって、初めて自分達の個性的な民族性を発見する。

 自分が自分であるという自我も比較のおかげです。

 時間の感じ方も同じで、これは恐怖感の度合いにもよるものだが、突然自分の余命が後1年と医者に宣告されたなら、世間一般の人との比較のギャップにより時間の価値が濃縮され、爆発的に行動力がアップする。

 暇の多い生徒よりクラブ活動で時間の少ない生徒のほうが学業も優秀である場合と同じ原理だ。これは明確に残された時間が分かる程、行動力アップに直結することを意味する。

 もしお金を必要としない不老不死が実現できれば、最初の10年くらいは楽しく行動できるかもしれないが、徐々に行動自体がなくなっていく可能性を示す。死があるものに生があるということは、死がないものには生もない。言い換えれると、不老不死で長く過ごせば生きていても死んでいるような状態が待っているのかもしれない。

 戦時中は人が死ぬ確立が高いので子供をたくさん産んだ。現在では人が死ににくいので少子化が進んだ。人が死なない程に子供を産む能力が下がっていくことを意味する。これは死があるものに生がある証拠だ。

 つまり完全な不老不死が実現できれば繁殖能力がなくなる可能性がある。生命として究極の地位にたどり着いたと思った時が、人類の終焉かもしれない。

 DNA操作・クローン・体のパーツを新しく培養して交換する技術などに頼ることによって寿命が延びる人類は、自分自身の進化はなくなる事を意味する。つまり科学が人間の進化を埋め合わせするということだ。強力に育った科学が天変地異などで突然足元から崩れたら、変化する地球環境では対応できないと簡単に推測できる。

 人間は地球上でもっとも優秀な生命体だと調子に乗っていれば、いつか痛い目に合うかもしれません。

テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術



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